都市と農地の共生:歴史から見る都市農業の変遷と未来の可能性
今回は、過去から現在までの都市農業の歩みと、都市が農業とどう向き合ってきたかを解説します。
特に、都市農業振興基本法の重要性や制約、そして未来への可能性に焦点を当て、都市と農業の共生が持続可能な都市づくりにどう寄与するかを考察します。
目次
都市に囲まれる農業と農地
1956年に公表された「経済白書」には、「もはや『戦後』ではない。我々はいまや異なった事態に当面しようとしている。回復を通じての成長は終わった。今後の成長は近代化によって支えられる」という言葉があります。
これは、朝鮮戦争特需に支えられた経済復興が終わり、次なる課題として経済と社会をどう発展させるかという危機感から生まれたものです。
その次のステップとして都市化と工業化が進み、「東洋の奇跡」と呼ばれる高度経済成長が始まりました。
高度経済成長期は、農村から都市への人口大移動がありました。都市には多くの仕事があり、賃金も高かったため、過剰人口を抱えた農村の人々が都市での労働を求めて移動しました。この移動は一方通行で、農家の跡取り層も含めて不可逆的な流れとなりました。この結果、都市は拡大し、肥大化していきました。
三大都市圏への人口移動は急速に進み、都市は無秩序かつ無計画に発展していきました。高度経済成長期には、都心部から郊外に向けてスプロール現象が起こり、市街地が拡大しました。都市基盤の整備が追いつかない中で、安い地価を求めて市街地が広がり、近郊農村は減少しました。その結果、農地が点在し、市街地の中に広がる広範な農地が形成されました。これが「都市農業」の始まりでした。
「市街化区域内農地」という問題
都市計画法の制定により分断された農地
1968年に制定された「都市計画法」では、「都市計画区域について無秩序な市街化を防止し、計画的な市街化を図るため必要があるときは、都市計画に、市街化区域と市街化調整区域との区分を定めることができる」としました。
【根拠法令:都市計画法第7条】
つまり、「すでに市街地を形成している区域」および「(おおむね10年以内に優先的かつ計画的に)市街化を図るべき市街化区域」と、「市街化を抑制すべき市街化調整区域」に線引きされることになりました。
市街化区域内にある農地は「宅地化すべきもの」として、いずれ都市からなくなる「経過的農業」、都市の中に取り残されている「残地的農業」などと言われ、常に開発圧力にさらされ、流動的な存在となりました。
特に、東京都は市街化区域内に多くの農地を抱え込んでしまったことで、都市と農業の不都合な関係が作り出されてしまいました。
農地をめぐる税制上の問題
この都市計画法は、都市と農村をはっきり区別する※峻別論を理念とされました。この線引きの実施は実質的な市街化区域内農業・農地の否定でした。農林省(当時)も市街化区域内農地の転用は事実上自由とし、市街化区域内農業は国の農業施策の対象から外されました。
農家は宅地並み課税(宅地と同水準の固定資産税)と高額な相続税の問題に直面することになりました。これに対して農家、農業委員会系統、農協系統が宅地並み課税反対や都市農業の確立に向けた運動を展開し、「生産緑地法」、 「相続税納税猶予制度」、 「長期営農継続農地制度(現在は廃止)」の創設によって、宅地並み課税および高額な相続税の支払いを猶予する制度が整い、長年かけて税制問題は決着を見ました。
※峻別論とは
都市と農村などの地域がはっきりと分かれているべきという考え方のこと。
都市から疎外される農業と農地
新自由主義に基づく政策を強力に推し進めた中曽根政権(1982〜88年)は、アメリカの意向に沿う形で構造改革を断行しました。
そこで重視されたのが内需拡大で、住宅対策および都市再開発事業の推進でした。
大規模事業による東京の大改造は、地上げや地価の暴騰をもたらしました。
都市農地の転用を促進させたとしても、地価下落には直接結びつかないうえに、無秩序な都市建設の延長で都市農地を吐き出させても、決して望ましい都市作りにはなりません。しかし、住宅政策、都市計画の失敗を回復できないため、都市農地がその犠牲者になってしまったというのが実情でした。
再編される都市農業と農地
離農か営農継続かを迫る生産緑地法の制定
内需拡大と土地供給量の増大で地価抑制が結びつき、都市農地の転用促進が声高に謳われるようになる中で、1991年には「長期営農継続農地制度」の廃止、「生産緑地法」の改正が行われました。
三大都市圏の特定市における市街化区域内の農家は、農地を保全する「生産緑地」と、従来どおり宅地化を進める「宅地化農地」、どちらかの選択を迫られました。そして「都市農地の再編」という大きな波が押し寄せました。
重くのしかかる税金の問題
生産緑地の指定を受けないと、農地並み課税、相続税や贈与税の納税猶予制度など優遇措置が適用されず、重税の支払いを強いられました。
そのため、市街化区域内農地を持つ農家にとっては「農業を継続するか、宅地にするのか」という決断を迫られることになりました。
生産緑地の指定を受けると、農地として管理しなければならない営農義務が課されます。
また、「第三者に売れない貸せない」「アパートやマンションが建てられない」「借金の担保にもならない」という厳しい制約が課せられます。
その期間は生産緑地の指定から30年、または所有者の終身でした。
これは税制上の優遇を受けるためのやむを得ない犠牲でもありました。
農業を離れるという選択肢
多くの農家が生産緑地の指定を受けない選択をしました。
一方で指定を受けた農家は厳しい条件を受け入れながらも、農地を守り、農業を継続しました。
現在は、生産緑地が11837㎡(2021年)、宅地化農地が10003㎡(2019年)です。
市街化区域内農地は半減し、そのうち宅地化農地は3分の1にまで減少しました。
生産緑地法改正の主たる目的が都市から農地を排除することにあったため、これは当然の結果でした。
都市に取り込まれる農業と農地
都市と農業の一体化への取り組み
1990年代半ば以降、経済が低迷する中で、食の安全や環境保護、生活様式の見直しなどが注目され、都市農業が評価されるようになりました。
この時期、農業状況が大きく変わり、農業構造の脆弱化やリゾート開発の破綻などで農村が危機に直面しました。
その結果、「新しい食料・農業・農村政策の方向」と呼ばれる新しい方針が農林水産省から提案されました。
この方針では、市場や競争の導入が進む一方で、環境保護型の農業への転換や農業の多様な機能、※グリーン・ツーリズムなどが重要視されました。
この流れは、99年に制定された「食料・農業・農村基本法」で都市農業の振興が謳われ、象徴的なものとなりました。
※グリーン・ツーリズムとは
環境に配慮し、持続可能な開発を促進することを目的とした観光の形態のこと。
1991年の生産緑地法改正や農業状況の変化から、都市の農地を保護し、都市農業を促進するための様々な取り組みが始まりました。例えば、東京都では国分寺市が市民農業大学を開校し、援農ボランティア事業をスタートさせました。練馬区では、農家が農業体験農園を設立し、日野市は全国で初めての農業基本条例を制定しました。これらの動きは、都市農業に対する否定的な意見に対抗する形で、「農のあるまちづくり」と呼ばれ、市民が参加する取り組みが各地で広がりました。
農業を取り巻く市場の変化
国内の農業が小さくなる中、1985年のプラザ合意以降、円高・ドル安の影響で輸入農産物増え続けました。
しかし、その中で、農作物の安全の観点から地元で作られたものを食べる「地産地消」が重視されるようになりました。
地元の農協や市町村も、地元産の食べ物を増やす取り組みを始め、大きな農産物の直売所もできるようになりました。
都市農業では、経営のスタイルも変わりました。従来の市場での販売だけでなく、施設での栽培や、庭先での直売、地域の直売所やスーパーマーケットへの卸売りなど、地元に密着した販売方法が増えました。
これは自治体の政策の一環で提案され、農家も新しい方法を模索し始めました。
そして、人々の生活スタイルの変化が、都市農業に新たな展開をもたらしています。
都市農業振興基本法の重要性と制約
市民権を得てゆく都市農業の流れ
2015年に「都市農業振興基本法」が、次の年に「都市農業振興基本計画」が制定されました。
これにより、農地が都市で必要なものとして位置づけられ、これまでの考え方が大きく変わり、都市農業が重要視されるようになりました。
それ以降、市街化区域内の農地に関する法律も変わりました。
生産緑地法の改正により農業の営農形態が拡大
2017年6月には「生産緑地法」が改正され、生産緑地の面積要件が緩和され、制限も緩和されました。
これにより、農産物の直売所や農家レストランの設置がしやすくなり、「特定生産緑地制度」が始まりました。
特定生産緑地制度では、生産緑地の所有者が申請すると、1年間買い取りの申し出ができ、生産緑地を保つ方針が打ち出されました。生産緑地の多くは1992年に指定されましたが、2022年になり、農業の義務が緩和され、所有者は自治体に売却することができるようになりました。これが「2022年問題」として注目を浴びました。
2022年12月末時点で特定生産緑地の指定状況は、指定8.3%、非指定10.7%となりました。生産緑地面積が多い順に指定割合を見ると、東京都9%、大阪府9%、埼玉県8%、神奈川県2%であり、この割合の高さは、各地で自治体、農協、農業委員会などが早くから説明会を開催し、制度への理解を促した成果といえるでしょう。
新たな就農者を導入しやすくする取り組み
2018年9月には、「都市農地貸借法(都市農地の貸借の円滑化に関する法律)」が成立して生産緑地の貸借がしやすくなり、市民農園を開設するために貸借することもできるようになりました。東京都日野市や小平市では、非農家出身者が生産緑地を借りて独立就農するケースも生まれ、規模拡大や後継者などの就農のため新たな部門の導入、法人(農業法人、社会福祉法人、NPO法人、株式会社)などが生産緑地を積極的に活用しています。
このように、都市農業は新たな段階に移行しました。
特定生産緑地の指定意向は高い割合を示し、大幅な減少は避けられましたが、これですべてが解決したわけではありません。
非指定の生産緑地も約1割あり、10年ごとの更新で今後さらなる減少が推測されます。
最後に
今回は都市部の農業のあり方とその歴史について解説しました。
今回は以上で終わります。
最後までご覧いただき、ありがとうございます。
この記事が農業について学びたいと考えられている方の参考になれば幸いです。
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投稿記事 - 熊谷行政書士法務事務所 広島県広島市 (lo-kuma.com)
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【参考文献:農の力で都市は変われるか(小口広太)、農業センサス、農林水産省HP】